旅と仕事と生き方についてのブログ

Following the path of least resistance

シンプルな生き方?

YouTubeクリシュナムルティという人のトークを視聴しました。

彼は南インド出身で亡くなってすでに30年以上経っていますが、 今どきの言い方をすれば、世界中に多くのフォロワーをもっていたインフルエンサーでした。

 

さて、動画の内容は「シンプルである(simplicity)とは何か」というテーマ。

 

シンプル(もしくは単純・簡素)であるということはどういうことか、というこの問いに対してみなさんならどう説明しますか?

 

私がすぐに思いついたのは、「ミニマリストのように必要最低限の物で暮らすこと。」でした。

 

ところが、この人が言うには、「正直でいることであり、心の中に葛藤がない状態」だったのです。

 

「正直? 葛藤がない? 」

ちょっとすぐには理解できなくないですか?

 

それでしばし考えたんですよ。どういうことなんだろうって。

 

正直=嘘をつかない(ですよね)

では嘘をつくってどんな場面?

最近自分はどんな嘘をついたのか。

 

う~ん、思いつかない。

意外と心当たりがないんですよ。

他人にたいして嘘をつく場面は案外限られているのかもしれませんね。

 

じゃあ、自分は正直者なのか、と考えた時ふと思ったんです。

他人に嘘をつく場面は少なくても、自分自身に嘘をつく場面も考えたほうがよいのでは、と。

 

例えば、仕事が嫌で辞めたいとか、結婚してみたけどどうしても相手と上手くいかなくて離婚したい、など心の中では思っていても、経済的理由や世間体を気にしてずるずる現状のままでいるような場面があるとします。

こういうのって、自分に嘘をついてることになりませんか。まさに心の中で葛藤がある状態ですよね。

 

だとすれば、このような状況で心の中の声に正直に生きようとすれば、さっさと仕事を辞めるとか、離婚することが一般的な解決策ではないでしょうか。

 

そうすると、上手く転職できないかもしれないとか、離婚によって子供や両親に迷惑をかけてしまうかも、という精神的ストレスがのしかかってくるかもしれませんし、経済的なリスクも大きいかもしれません。みんながみんな、心の声にいちいち従っていたら、世の中が混乱してしまうように思えます。

 

なので、自分に正直であることって、他人からみれば自己中とも受け取れるし、かなり勇気がいることだと思えてしまいます。

 

これを敢えて行うことが正直なことになるのでしょうか。

そうなのかもしれません。

 

そういえば世の中では一時期、断捨離という言葉が大流行しましたね。

心ときめかない物を処分してシンプルな暮らしにすることが、国境を越えて世界中で受け入れられたようですが、クリシュナムルティは、心の中に葛藤(ゴミ)がない状態を「正直」と呼び、「シンプル」な状態であると言いました。

 

それにしても、心の中にあるモヤモヤだとか、悩みをきれいさっぱり処分できたらさぞかしさっぱりするでしょうね。

 

ここまできてふと気づいてしましました。

これって、要は瞑想じゃね? (笑)

そうだ、瞑想すればいいんだ。

 

というわけで、シンプルな生き方へシフトするには瞑想をするのが近道だという結論にたどりつきました。